株式会社エアー宮古 下地裕介さん
沖縄にはたくさんの離島がありますが、その中で特に人気が高いのが宮古島です。世界有数の青い海、沖縄本島以上にゆったり流れる島時間、折に触れて身に沁みる島の人の優しさが人気の理由。ここ数年で海外からこの島を訪れる観光客の数も急増しています。
それに伴って慌ただしさを増してきているのが空港のグランドハンドリング業務。スローな時間が流れているはずの小さな島で、グラハンに関わっているみなさんは、分刻みの業務とどのように向き合っているのでしょう。今回は、一度島の外で働いたのちに4年で故郷の宮古島に戻ってきた株式会社エアー宮古の下地さんに離島の空港での仕事について話を伺いました。
--- いつ頃、航空業界で働きたいと思うようになったんですか?
正直に言ってもいいですか?実は、進路決定ギリギリだったんです。高校までは部活一筋できましたから、それまで将来のことをほとんど考えていなくて。学校の進路指導の時間に、「どうしよう」と慌てたくらいです。その時に、子どもの頃にさかのぼって、「自分は何が好きだったんだろう」、と考えてみたんです。そしたら、ふと小学生の頃、自転車で宮古空港まで行って、展望デッキで友だちと一緒に夏休みの宿題をやっていたシーンが蘇ってきて。「そういえば自分は飛行機が好きだった」と。
昔、宮古空港に金色の飛行機が飛んで来てたんです。どこの航空会社のものか、機種が何か、その時は分からなかったのですが、その飛行機が好きだったこと、飛行機のプラモデルをよく作っていたことを思い出し、それがきっかっけで、沖縄本島の専門学校、エアポートビジネス科に進学することを決めました。(偶然にもあの時見た飛行機は通称ANAのゴールドジェットでした。)
--- 専門学校では、どんな勉強をしたんですか?
IATAディプロマという国際航空貨物取扱士の資格や、危険物取扱者乙種第4類など、グランドハンドリングに必要な資格を取るための勉強をしました。さらに、ラッキーなことに2年目からは実地研修という形で空港業務に就くことができました。だから、学校だけでなく那覇空港の現場で、先輩達から色々なことを学びました。
--- 那覇空港で勤務した後、故郷の宮古島にUターンして、宮古空港で働き始めたそうですね。同じ沖縄でも、那覇空港と宮古空港では仕事のやり方が違ったりするんですか?
ご存知のように那覇空港は大きな空港ですから、グランドハンドリングも部署が細かく分かれていて、仕事が分業化されているんです。でも、宮古空港の場合、課は一つしかなくて、一機の飛行機にみんなで一丸となって取り組みます。例えば、飛行機の誘導、安全確認、貨物と乗客の手荷物の積み降ろし、離陸前の飛行機のプッシュバック(牽引車で誘導路に押し出す作業)など、色々な仕事をみんなで行います。ですから、メンバーが状況を見て協力し合うことが必要だし、チームプレーがより求められます。持っている社内資格に応じて、各自がいくつもの業務をやるわけです。出発作業が終了し、飛行機が滑走路に向かう際には、みんなで揃って手を降って見送ります。そういえば、聞いた話では、グランドハンドリングのスタッフが飛び立とうとする飛行機に向かって手を降るようになったのは那覇空港がはじめてで、そこから他の空港に広がっていったみたいですよ。
--- 社内資格の話が出ましたが、どんなものがあるんですか?
さっき言った貨物の積み降ろしや、ブレーキマン(コックピットに乗ってブレーキをかける役割)、マーシャリング(飛行機の誘導)がそうですね。車の運転も空港専用の資格が車両の種類ごとに必要です。お客様が飛行機に乗るときに利用するPBB(搭乗ゲートから飛行機の搭乗口に渡る通路)や貨物や手荷物の積み降ろしをするハイリフトローダーなど、数え切れない資格があります。ちなみに、自分が最初に取ったのは貨物室のドアを開ける資格でした。那覇空港の勤務時代から、細かいものを含めると数え切れないぐらいの資格を取ってきました。
--- 今まで最大のトラブルは?
うーん、ある年に天候がすぐれず飛行機に雷が落ちた時ですかね。最初は1機だと思ってたんですよ。そしたら2機、3機と空港で点検することがわかって…。宮古空港は小さいので、飛行機が予定以上に駐機するだけでも大変なんです。でも、その時は、その後ろにも待機している飛行機があって、待機場所が埋まってしまいました。
こういう場合は1機の点検に1〜2時間は必要ですから、悪天候の中でも、次から次に来る飛行機に対応しなくてはいけなくて。しかも宮古空港には、荷物を手で積み降ろししなくてはいけない飛行機が多く発着するんですが、この時は急遽、飛行機の行先が変更になって、いったん積み込んだ手荷物を別の飛行機に積み替えなくてはいけなくなったり、現場の無線機の数も限られているなか、情報の伝達ミスがないよう気をつけて、何とかチームワークで乗り切りました。
--- そのチーム力が宮古空港のグラハンの強みなんですね。今回、下地さんの職場を見させてもらって、張り詰めた緊張感と、ある種の余裕というか、沖縄の離島ならではのゆったり落ち着いた雰囲気が、いい具合に同居しているように感じました。日頃から、チームワークが取れていて、仕事の段取りもスキルも、日々高めようと皆さんが努力しているからこそ、「まくとぅそーけー、なんくるないさー」(人として正しく誠実にあろうと努力していれば、何があってもどうにかなるという意味)という沖縄の諺を地でいくように、どっしり構えていられるのでしょうね。
自分たちの職場は、仕事とプライベートがいい意味で近いんです。勤務が終われば一緒にお酒を飲むことも多いですし、休みの日にはみんなで釣りに出かけたり。島の住民はお互い知り合いばかりですから、会社の役員とも、オフィスですれ違った時に、「お母さんの病院に、この間行ったよ」なんて結構プライベートな話をすることがあるんです。もちろん、先輩後輩の関係もフラットで、ボケたり、ツッコミを入れたりしています(笑)。言いたいことを言える信頼関係があるから、仕事中にわからないことや疑問に思うことが出てきたら、遠慮なく聞けるんです。
--- 今まで先輩から教えてもらったことで忘れられないことは?
仕事でも色々ありますが、つい最近だと、さっきも話したように宮古島は小さな島なので、顔見知りが多いんです。だから、入学、卒業、就職、開業、結婚、出産みたいにお祝い事がすごく多くて、そういう時にご祝儀を持って行くのですが、その時、家まで行って、玄関先でお祝いを言って、ささっと引き上げるのがいいのかどうか疑問に思ってたんで、先輩に聞いてみたんです。「玄関先で済ませるのは失礼だから、遠慮しないで家に上がってゆっくりしたほうがいい」と、教えてくれました。仕事とは関係がないですけど、そういうことも聞けちゃうのが嬉しいです(笑)。
--- こんな人に入社してほしいとかありますか?
明るくて、誰とでも打ち解けられる人、思っていることをオープンに話し合える人ですかね。最近後輩になったのは45歳の方なんですが、年齢は仕事に関係なくて、ほかのメンバーと変わらず協力しながら働いていますよ。
宮古島では、毎年春になると、空港が見送りの人でいっぱいになるんです。進学などで島を巣立つ人を家族や先生や友人がこぞって送り出そうと集まってくるんです。頑張って来いよ、そしていつか戻っておいでって。宮古島では、一度巣立った人が戻ってくるのは、すごく自然なことですから。あと、県外から宮古島に来た人も、すんなり職場に溶け込んでますね。
人と人が深い絆で結ばれるのがこの島のいいところです。だからこそ、遠慮しないで入り込んできてほしいですね。
--- 宮古島では高校入試の時、お昼休みに家族がお弁当を作って受験会場までやってきて、受験生と一緒にご飯を食べる習慣があるそうですね。その一方で、離島は結束力が強いから外からくる人に閉鎖的だという印象もあったので、意外ですね…。
そんなことないですよ。職場の半分くらいは島の外から来た人ですよ。島のみんなは、人懐っこくて、好奇心が強いので、「知りたい!」、「教えて!」みたいな感じで、島の外からやって来た人に対して近寄っていきますね。「故郷では何が有名なの?」とか、「おいしいものは何?」とか、会話もいつも盛り上がってます。
--- 「いちゃりばちょーでー」(出会えば皆きょうだいという意味の諺)ですね。やっぱり社交性がある人が向いてるんでしょうか?
そうですね。真面目さも大切ですが、コミュニケーション能力がないとこの仕事は難しいかもしれません。溜め込まないで周りの人にオープンでいられる人がいいですね。刻々と変わる状況を見て動く場面が多いので、いま必要なことを判断できる人、タイムプレッシャーに動じない人が向いていると思います。
--- ところで下地さんは、宮古島の社会人バレーボールチームのエースで、県民大会で昨年準優勝したそうですが、練習する時間はあるんですか?
はい。宮古空港のANAの最終便は午後6時台なので、勤務は午前9時から午後6時までか、午前10時から午後7時までのシフト制になってます。だから、仕事が終わってから練習に行けるんですよ。那覇空港で働いていた時から、いつかは生まれ故郷の宮古島に帰って学生の頃からやっていたバレーボールをまた再開したいとずっと思っていましたから、楽しいですね。
たまに思うんですよ、人生ってあっという間だなあって(笑)。
晴れたら港で釣りをして、夜は親しい友人や家族とお酒を酌み交わし、大好きなバレーをして、お祝い事にもたくさん顔を出したり、楽しいことがいっぱいあると時間があっという間に過ぎていくじゃないですか。この島に来れば、やりたいことが色々見つかって、結果、楽しいことで時間が埋まってしまうはずですよ。
(文・写真:福田展也)
熊本県生まれ。手仕事で生きていきたいと2001年に首都圏から沖縄に移住。紆余曲折の後、ランプランナー、ライターに。趣味は波乗りと養蜂。沖縄の人と自然、暮らしと文化の素晴らしさをより多くの人に知ってもらいたいと、雑誌、WEBマガジンを中心に活動中。