羽田空港グランドサービス株式会社 森田さん
毎日600便以上の航空機が飛び交う羽田空港。1日に何度も離着陸する国内線の航空機や、遠く、ヨーロッパやアメリカから飛んでくる航空機もいます。
地上を走るクルマの表面にも様々な汚れが付着します。このため、クルマをきれいに保つためには一定期間ごとにボディを洗う必要があります。これは航空機も同じ。機体にはジェットエンジンから排出されたオイルが付着したり、ボーディング・ブリッジがドッキングしたときのゴム汚れなども残ります。それを洗う、機体洗浄のプロフェッショナルが「機体サービス課」のメンバー。今回はチーフを務める森田祐太さんに、機体洗浄という仕事についてお話を伺いました。
巨大な航空機を洗うとなると、洗車とは異なり非常に大掛かりなものとなります。毎日の勤務は夜22時からスタート。十数名ごとに分かれて、分担して航空機の洗浄を行います。羽田空港の専用スペースにその日洗浄する航空機を運んでもらい、最大で十数トンの水と、専用の洗剤を使って磨き上げていくのです。しかもその洗い方はなんと手洗い。最長4mの柄がついたブラシや、モップを使って航空機の表面をきれいにしていくのです。1日に洗う機体は最大3機。早朝のフライト開始までの間に終わる必要があるため、綺麗に磨き上げるのはもちろんのこと、時間との勝負にもなってきます。
--- テレビ業界から機体洗浄の仕事に就くきっかけは何ですか?
学生時代はテレビ業界に憧れていたので、そういった仕事につける専門学校を経て、 テレビ制作会社でリサーチャーという仕事をしていました。テレビ番組の企画を作るための下調べをする仕事です。 リサーチャーという仕事はテレビ番組作りの一部にすぎなくて、全体に関われないので達成感が味わえずにいたんです。3年ほど働いて退職しました。ある日、アルバイト情報誌を調べているときに「航空機を洗う仕事」を見つけました。
リサーチャーの仕事では、普通じゃないちょっと変わったことを常に探していたこともあり、「機体洗浄の仕事って何だろう?」と思ってアルバイトに申し込んだのがきっかけです。それから1年半アルバイトとして働き、契約社員を経て、現在は正社員として働いています。アルバイトの頃から含めて約7年になります。
--- 好奇心から始めた機体洗浄の仕事はどうでしたか?
元々、航空機や空港などに特別な興味があったわけではありません。夜型だったので、夜勤アルバイトなのは向いているかなというぐらい(笑)。最初はコンビニの夜勤アルバイトも並行して行っていました。当時は夜勤アルバイトとしてはそれほど給料がいいわけではなかったのですが、1機ずつ集中して洗浄、休んで、また洗浄してというスポーツのような働き方が体に合っていたんでしょうね。また、先輩方も優しく、職場の雰囲気がよかったので続いたんだと思っています。
また、今は社員なので勤務の終了時間は朝の6時ですが、アルバイトの時は早く洗浄が終わるとその分早く帰れたんです。それも良かったですね。定時は22時から6時ですが、早いと4時頃に帰れました。しかも集中して働いているのは、1機1時間半から2時間なので、実は短いんです。だから、仕事というよりもスポーツみたいなんですよね。元々、子供の頃にサッカーをやっていたこともあり、集中する時間とハーフタイムがある働き方が向いていたようです。
--- 1日の仕事の流れを教えてください。
「機体サービス課」の始業時間は夜22時です。羽田空港の場合、控え室が制限区域内にあるので、みんなで社用バスに乗ってそこに向かいます。私は成田空港の担当でもあるので、成田空港行きのバスに乗ることもあります。バスに乗って制限区域内の控え室に移動したら、作業責任者がその日に洗浄する機体を確認。作業前のブリーフィングをして、空港内の洗機スポットに移動するという流れです。
1日に洗う航空機は多くて3機。ふき取り作業のナンバー1クリーニングと、丸洗いするナンバー2クリーニングという作業があり、洗機スポットで洗うのがナンバー2クリーニング。ナンバー1クリーニングは、駐機スポットに行って洗浄します。1日で丸洗い3機は時間的にきついので、ナンバー2、ナンバー1、ナンバー2といった順で行うことが多いですね。ナンバー1に行っている間に、機体を入れ替えてもらうとスムーズです。
とはいえ、あくまで機体整備の方が優先なので、整備作業が押したり、トラブルが発生した場合などは洗浄する機体がなくなったり、変更になることもあります。そのあたりは検収担当者が整備の担当者と連絡を取り合って、何かできる機体はないか、確認して洗浄を行っています。
羽田の機体洗浄はだいたい13人前後で行います。アフターといって機体後方や高所、ウイングなど機体の場所ごとに分担して、順番に洗浄していきます。特に汚れるのは、機体のウイングから後ろ側。エンジンもありますし、あとは油圧系のグリースの汚れも後ろ側に飛んで付くんです。
機体洗浄に使う道具ですが、メインとなるのがパットというアルミ製の長くなる棒。ビルの窓とかをメンテナンスするときにも使うそうですが、この先端にスポンジのようなものを付けて洗います。あとはモップとブラシ。それで機体全面を手洗いしていきます。完全に手洗いなんです(笑)
機体の上部など、高い場所は高所作業車に乗って作業します。 磨き終わったらその場所に水をかけて汚れと洗剤を流して終わりです。ナンバー2クリーニングの場合、大体、小型機なら1時間か、1時間半ぐらい、大型機だと2時間から2時間半ぐらいできれいになります。
--- 機体洗浄を行う上で特に注意していることはなんですか?
とにかく事故を起こさないということでしょうか。機体洗浄は機体に直接触れますので、道具をぶつけて壊してしまうというリスクがあるんです。例えば静電気を逃がすために機体についているディスチャージャーという部品は、ボールペンぐらいの太さしかありません。何かをぶつけてしまうと軽く折れてしまう可能性があるんです。
ところがですよ(笑)、このディスチャージャーなんですが機体ごとについている場所が違うんですよ。例えば、ボーイングの機体はウイングの端っこにしかついていないんですが、エアバスのA320という小さい機体は、ウイングの後ろ側にディスチャージャーが付いているんです。それを知らずにウイングの後ろ側でモップを振り回してしまうと折ってしまう可能性があるんです。その辺りは慎重に仕事をしなければいけません。
また、左側の一番手前のドアは角度の関係で水洗い時の水が中に入ってしまう可能性があります。そういった場所は事前にモップを挟んでおくといった対応をしています。
私たちは機体洗浄も整備作業の一環だと考えています。元々、最初は整備士さんが機体洗浄をしていたんです。それが、航空会社の整備部門から私たちの方に委託されてきたという流れがあります。例えば、汚れが機体につくと傷が入っていたとしても見えづらくなります。また、我々がへこみなどを見つけて報告するといったこともあります。
現在、弊社では約8,500日(約23年)の無事故を達成しています。だから新人に教育するときは、事故を起こしてしまうと、先輩たちが培ってきた「8,500日」という蓄積がなくなるということを伝えています。
(2020年1月1日時点で8,565日無事故です)
--- 機体洗浄の仕事の楽しいところを教えてください
やはり、すごく汚い航空機がきれいになる瞬間ですかね。もともとバイクの洗車とかは好きだったので、洗浄自体が好きなんだと思います。
機体洗浄では、まれに日数超過してしまって、汚れが蓄積してしまっていたりとか、もともと汚れやすい機体があったりするんです。その汚れで真っ黒になっている機体から、下地が出てきて、綺麗になっていくと気持ちいいですよね。
それを毎日試合みたいな感じで洗っていくんです。1機洗い終わると「よし次行くぞ!」ってなるのが楽しいですよね。機体洗浄という仕事は、航空業界全体で見ればほんの一部ですが、洗浄という作業に関しては全てができます。完遂できるというのは非常にやりがいになっていると思います。
また、今年から政府専用機を扱うことになったので、その洗浄にも関わっているんです 。羽田ではなく新千歳に行って機体の整備を行う航空自衛隊千歳基地の政府専用機格納庫で洗うんですが、国の仕事をしていると思うとテンションが上がります(笑)。また、作業器具などにおける徹底した定数の管理など丁寧で確実な仕事ぶりに感銘を受けました。
環境面もこの仕事の楽しいところです。私がアルバイトの頃にはいろんな先輩がいらっしゃいまして、洗浄中はみんな真剣ですが、休憩時間は 先輩方といろんな話ができました。私はバイクと競馬が趣味なのですが、作業中は厳しく言われても休憩に入った途端、「この前のG1どうだった?」と話しかけてくれる。そんな職場なんです。そんな仕事以外の話を一緒にして、楽しく過ごせたことも、この仕事を長く続けられた理由の一つだと思っています。
(アルバイト時代からお世話になっている森谷さん)
中でも森谷さんという方には本当にお世話になりました。バイクと競馬の趣味も一緒で、仕事が終わった後、朝方に一緒に飲みに行ったり、何人かで競馬場に行ったこともあります。僕は同年代よりも年上の方と話が合うタイプだったので、すごく居心地が良かったですね。今は自分たちが森谷さんのようになって、そういう雰囲気を作って若いスタッフが働きやすくして行きたいと考えています。
--- 逆に仕事で大変なこと、大変だったことはありますか?
アルバイトを始めてすぐのときは、作業についていくのが大変でした。機体洗浄は機体の下半分の後ろ側(アフター)と前方(フォワード)から始めて、ウイングのエンジンより内側、外側、高所(上半分)の順番に覚えて行きます。私はミッドが本当に苦労しましたね。
というのもミッド作業は真上を向いて行うんです。これが全く力が入らない(笑)。しかも、タイヤがあるので、そこから汚れが吹き出ていたり、飛び散ったりしていて、汚れも強いんですよ。汚れが強いのに力が入らないから、全然汚れが落ちない。みんなが作業終わっているのに自分だけ終わらず、最後までやっていました。体力面はもちろんですが、精神的にも本当につらかったですね。このときも先輩達のサポートやアドバイス、そして休憩時間の楽しい雰囲気があったからこそ、耐え抜くことができたと思っています。
--- 機体洗浄の仕事を通して得たことはありますか?
航空業界全体のあるあるかもしれないですけど、現場では指差呼称を徹底しなさいと教育上やるんですよ、右よし、左よし!とか。これが日常生活で出ることがありますね。鍵よし、施錠よし!みたいな(笑)
私はもともとルーズなほうなので、物事をきちっとやるというのが苦手でした。例えば、車両を停めたらチョークをちゃんと引くとか、車輪止めとかをちゃんと噛ませるとか、1個1個決まりがすべてあるんです。作業前の準備での投光器を置く位置や、脚立の置く位置、またはマスキングの定数など安全を守るための決まり事や覚えることが多く大変でした。その決まりを順守していくのが苦手だったんですが、仕事を重ねていく中で克服できました。
また、作業中はテキパキ動くことを求められます。うちの部署の文化として集中して短時間で作業を終わらせるというのがあり、最初はそれに合わせるのが難しかったというか大変でしたね。これもなんとか克服できたと思っています。
--- 機体洗浄の仕事の良さはどういうところでしょうか?
やはり機体が綺麗になるということに達成感があります。また、チームスポーツのように集中して作業ができるので、長くスポーツをやってきたような方にも向くと思います。また、あまりお客さんと接することはないので、接客業などが苦手な方でも働きやすいと思います。そういう意味では航空業界の中では楽なのかなと思っています。
また、機体洗浄は夜の仕事なので昼間の時間を自由に使えるというのもメリットです。中には、昼に勉強してパイロットになったり、整備士になった方もいます。航空機に触れていられるので、航空業界に接していたいという方にもおすすめです。
私自身、機体洗浄という仕事自体は好きなので続けたいとは思っていますが、同時に空港内の、他の仕事も見えてきています。いろんな可能性を模索したいとは考えています。
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夜の羽田空港で照らし出された機体洗浄待ちの航空機。洗機スポットに着くと、森田さんをはじめとした作業員の皆さんは、小走りで効率よく掃除道具を配置し、機体洗浄の準備を始めていった。そして円陣を組んで号令をかけ、素早く持ち場に移動して機体洗浄を始めました。
長い柄のついたスポンジで機体を洗い、高所作業車からも大量の水が吹きつけられます。世界中の空を飛び、汚れをまとった航空機はみるみるキレイになっていきます。
「夏場だと、僕らの作業終わりの時間がちょうど日の出なんです。作業1日終わった、となったときの朝焼けの景色、濡れた地面が鏡みたいになって綺麗になった航空機が反射している。その景色は本当に綺麗ですよ」と語る森田さん。機体洗浄の仕事をしている人だけが見られる絶景があるそうです。
(文:コヤマタカヒロ、写真:篠田麦也)
1973年生まれ。大学在学中にライターデビュー。現在はデジタルガジェットや白物家電を専門分野として執筆活動を展開。同時にスタートアップ経営者などのインタビューなども手がける。AllAboutガイドや、企業のコンサルティングなども行う。家電のテストと撮影のための空間「コヤマキッチン」も用意。
1974年生まれ。スタジオアシスタントを経て、高井哲朗氏に師事。2002年独立 篠田写真事務所設立。http://bakusan.com/archives/category/portfolio
APA公募展、JPS展、ブロンカラーフォトコンテスト等、多数入賞、入選。
『ART BOX MOOK Vol.3 Photography』写真の今 ~フォトグラファー121名~ 選出
人物撮影から建築・料理・商品撮影まで、ただ綺麗に撮る、ではなく情感を込めた写真のスタイルを得意とする。
2015年 渋谷代々木公園前にH.P.S.Tokyo(Holidays Photo Service)をオープンhttps://www.instagram.com/holidaysphotoservice/