ANAエアポートサービス株式会社 尾島ケントさん
羽田空港の敷地の一角に、体育館のような広い建物があります。ここで毎日、世界の物流の一翼を担っている「航空貨物」の仕事を行う人たちがいます。
「貨物上屋(かもつうわや)」とよばれるこの体育館のような建物には、世界中から所せましと国際線に載せる様々な貨物が届けられます。それらの情報を管理し、仕分けを行い、世界中に飛び立つそれぞれの便ごとに決まったパレット(荷台)に載せて、旅客機の貨物室に搭載していきます。
今回は、この貨物輸送の担い手、ANAエアポートサービス株式会社カーゴサービス部で、入社5年目となる尾島(おじま)ケントさんにお話を伺いました。
普段は足を踏み入れることのない羽田空港の一角にある上屋に入ると、そこには広い空間が待っていました。入り口近くには高さ10mを超える巨大なラック(荷棚)がいくつも設置されていました。
「このラックは、同じく大量の貨物を取り扱う中部国際空港(セントレア)の現場を参考にして、2019年3月から導入しました。」と語る尾島さん。高所用フォークリフトをスイスイと操り、一番上にある貨物を降ろして見せてくれました。
1日で最も忙しい朝の発着便の荷捌きが落ち着いたタイミングの取材で、少し閑散とした棚を見上げつつ「年末など繁忙期には最上段の4段目まで貨物がいっぱい載って、床の広いスペースも貨物で溢れるほどなんです。最近は、まだ減便の影響などで、普段より量は少ないですね。(2020年9月取材)」と教えてくれました。
このラックの羽田空港の貨物上屋への導入計画にも参加した尾島さんですが、就職活動の当初はグランドスタッフになることを希望していたそうです。
--- 羽田空港で働くことになった経緯を教えてもらえますか?
実家がカナダのバンクーバーにあって、小さい頃、しばらくバンクーバーで父と暮らしていた事があるんです。父は空港からウィスラーなどの雪山までツアー客を連れて行くバスの運転手をしていたので、よく一緒に空港の近くに連れていってもらっていました。
だから、今思うと心の奥底で飛行機が好きだったんだと思います。
でも、具体的には、大学の先輩が成田空港で外国の航空会社でアシスタントのアルバイトをしている話を聞いて、「空港でアルバイトができるんだ!」と知って興味を持ちました。ホテルや結婚式場でアルバイト経験もあったので、その先輩に紹介してもらって成田空港で働き始めたのが、空港との縁の始まりでした。
その会社では、アルバイトとして働くにあたり、まず座学の講習などを受け、その後から実際にお客様に接することになりました。カウンター業務などは社員が行い、僕はアルバイトとして、カウンターのご案内をしたり、英語の通訳でお手伝いしたりしていました。
また、ときには搭乗時間ギリギリに来られたお客様の荷物を持って一緒に走って、搭乗口までをご案内するなんてこともありましたね。そういった仕事の日々で、実際にお客様に接する空港の仕事に魅力を感じていきました。ですから、就職活動では航空業界を目指して、成田空港関連の会社に幾つか応募しました。
でも、残念ながら働いていた成田空港での就職活動は軒並み失敗しました。
それで、とても落ち込んでしまったんです。ところが、当時彼女だった今の奥さんが、社会人の視点からたくさん励ましてくれたんです。おかげで、何とか気持ちを立て直すことができて、就職活動を再開して、羽田空港にある今のANAエアポートサービスに入社することができました。
ただ、最終面接のときにグランドスタッフではなく、カーゴサービス部への配属になるかもしれないが、それでもいいか、と聞かれたんです。そのときはとにかく就職したかったので、ハイと答えたんですが、実際に入社して、言われたとおりカーゴサービス部に配属されたときは、正直すこし悩みました。
でも、親戚から「希望じゃなかったとしても、人生経験としてポジティブにとらえたほうがいい」と言われて、僕なりに受け止めることができました。今は自分の仕事に前向きに働けているので、良かったです。
--- お仕事について教えてもらえますか?
仕事のシフトは早番と遅番、夜勤があり、4勤2休が基本です。早番の場合は朝6時半から15時15分が勤務時間。僕は自宅が千葉の袖ヶ浦なので、自宅近くのバスターミナルから羽田空港行きの早朝のバスに乗っていきます。
僕たちの会社が行うのは便ごとに貨物をまとめてパレットに載せていくまでで、実際に飛行機の駐機場に貨物を搬送するのは別のパートナー会社の社員が行います。なので、オフィスに着いたらまずは、貨物の現場で一緒に働いているANA Cargoさんが作った貨物積み付けプランを確認し、実際に貨物を集めてパレットに載せていきます。
コロナ以前のピークのときは1日あたり12枚のパレットに貨物を積み込む必要があって、足の踏み場のないぐらいの貨物をかき分けて積み込んでいくのが大変でしたね。しかしコロナウイルスの関係で貨物量が一時的に減った際には、1日あたりに積みつけるパレット数が2、3枚の日もありました。
毎日の仕事は、僕たちの会社だけでは仕事は完結できないので、ANA Cargoさんや連携するパートナー会社さんとも普段からコミュニケーションを取って、良い関係性を築くように心がけていますね。
--- 国際貨物の仕事で一番大変だったのはなんですか? 配属されてからこれまでのことを教えてくだい。
貨物の仕事に配属されると最初にフォークリフトの勉強をします。免許をとって、さらに社内資格も取る必要があります。免許を取るのはそれほど難しくはないんですが、同時に貨物をどのようにパレットの上に置いていくのか、フォークリフトを操りながら同時に頭の中でパズルをする感覚を身に付けなくてはいけないのでフォークリフトの社内資格を取るのは大変でした。そして次に、搭載する貨物全体を管理する、便責任者の資格を取得します。僕がこれを習得したのが3年目でした。
コロナ前は常に2、3便の貨物を同時にさばいていく必要があって、頭の中でずっとパズルをしているような感覚で、最初は結構ハードでした。さらには大きい貨物から順番に入れていかないと、飛行機に入らなくなったりすることもあるんです。そうならないために貨物全体をトータルで考えられる様になる必要があります。
最初の頃は先輩のアドバイスを聞きながらちょっとずつ経験を積み重ねて覚えていくんですが、自分の頭の中でできる様になるまでは早くても4ヶ月ぐらいはかかりましたね。
また、貨物を機体の形に合わせてウイングアウト(逆台形)に積まないと、飛行機に乗りきらないこともあります。これも何度も経験して覚えていきました。
--- 国際貨物の仕事は、どういった部分にやりがいを感じていますか?
国際貨物には世界中に配送する様々な貨物が来るんですが、その中には医療物資なども数多く含まれています。それらが日本から世界中のいろんな国に送られて、それで届いて助かる命があると考えたときに、すごくやりがいを感じますね。国際貨物の仕事が社会に貢献している、と感じる瞬間です。
そういった援助物資や医療物資以外でも、こんな貨物をあの国に送るんだ、というのが見られるだけでも勉強になるというか、楽しいですよ。
また、積み付けの部分では、貨物の量が多くてギリギリのときに、うまくぴったり入れられると気持ちいいものがありますね。
--- 貨物の仕事を覚えて行く過程でお世話になった先輩について教えて下さい
一番お世話になったのは入社したときに座学のイントラをしていただいた吉田 航さんという方です。仕事でもプライベートでもお世話になっているんですが、一緒のグループで仕事をさせていただいたときには、それこそいろんなアドバイスを頂きました。
例えば最初の頃は、仕事の全体が見えていないのでどうしても指示待ちになりがちなんです。そういうときに「次はこれをやっておくといいよ」といったアドバイスを貰えたことで少しずつ視界が広くなって、考えて動けるようになっていきました。
今は、吉田さんも別の部署に異動され、僕が後輩たちに色んなことを伝える段階にいます。仕事柄、言葉で全てを伝えるのは難しくて、どうしても見て、自分で考えてもらうことにはなるのですが、例えば重たい貨物なんかはスプレッダーという板を敷いて、重量を分散させるといいといった、先輩たちから習って来たちょっとした工夫を思い出しながら、僕が伝えられることは伝えていきたいと考えています。
--- 職場の雰囲気や同僚の皆さんとの関係はいかがですか?
スタッフはみんなすごく仲が良いと思います。オフィスにはだいたい、70人ぐらいいて女性が3割ぐらい。体育会系のノリはありますが、先輩後輩の関係なく、言いたいことが言える職場だと思います。
あるとき、職場にある6チームほどのサッカーチームで対抗戦をしたんですが、僕のいたチームは最下位だったんです。その試合で、かなり頑張ってしまって、足を剥離骨折してしまったんです。
僕は「フォークリフトぐらいは乗れるかな。」って思っていたんですが、先輩たちがシフトを替わってくれて、その間はパソコンを使った事務仕事だけをしていましたね。そんな助け合いがある職場です。
--- 倉庫内にある立体ラックに関連した表彰をされたと聞きました
職場改善のプランを競い合うANA Cargoさん主催のイベントがありまして、3人のチームで参加して、僕はラックを導入する前段階の状況を細かく調べる担当をしました。それで、ラックを入れると繁忙期の貨物の整理が容易になって、こんなに作業の効率があがるよ、といった内容を発表したんです。
それでグランプリを頂きました。まさか取れると思っていなかったのでびっくりしましたね。プレゼンを担当した人がスティーブ・ジョブスの真似をしたり、英語や中国語を使ったりと見せ方がうまかったのもあるとは思いますが(笑)。そして、現場に本当にラックが導入されました。そのときは嬉しかったですね。
--- コロナウイルスによる影響はいかがですか?
コロナウイルスが流行する以前の職場での衛生管理は、手洗い、うがいぐらいでしたが、今はオフィスに入るときにアルコール消毒をしたり、就業前の体温チェックをしたりといったことも当たり前になっています。
貨物でいえば、羽田空港は国際線が大幅に減便したので、一時は貨物も大幅に減りました。9月時点では全盛期の1/4だったと思います。今も、シフトにかなり影響があります。
コロナウイルス関連で印象的だったのは、今年の2月頃、日本から支援物資を中国武漢に送るというときに、マスクや防護服の積み込みをしました。その量が本当に多くて、こんなにたくさん送らなければいけない、そんな大変な事態が起きているんだと、コロナウイルスが日本で広がる前に、大変な事態になっていることを肌で感じましたね。
--- 最後に今後の目標を教えてください。
正直、コロナの影響で自分の今後のキャリアを広い視点で考えることもありますが、現場でのこれからで言えば、今の職場でまだ取っていない資格にチャレンジしたいと思っています。この資格は上屋全体の貨物をコントロールする「エリアコントローラー」というポジションのものです。これを取得するのが当面の目標です。
それと、空港関連の貨物以外の仕事も気になっていて、例えば飛行機の翼に積もった雪を取り除く、「防除雪氷」という資格があることを最近知ったんです。今後はそういういろんな資格をどんどん取っていって、マルチプレイヤーになりたいと考えています。
そういう意味では最初に目指していた、グランドスタッフに異動できるチャンスも社内にはあるので、これから自分が何をしたいのか、目指すのか、考えていきたいですね。
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滑走路がライトアップされた羽田空港の夜景が好きだと語る尾島さん。夜勤のときなど、仕事の合間にライトアップされている滑走路を見て、癒やされているそうです。
また、ご自身がお父さんにバンクーバー空港に連れてきてもらったように、休みの日に2歳になるお子さんと羽田空港に来て、飛行機を間近に見せてあげたとか。最近、飛行機が好きになったというお子さんも大喜びだったそうです。
毎日届く大量の貨物を仕分け、仲間と一緒に便ごとにまとめていく。その貨物は飛行機に搭載され、世界中の国々に届けられます。尾島さんはその貨物一つ一つが世界中に旅立っていくことを誇りに感じているそう。ただ貨物を積むだけでなく、送る人、受け取る人それぞれの思いを飛行機に載せて運ぶのが国際貨物の仕事です。
(文:コヤマタカヒロ、2020年9月取材)
1973年生まれ。大学在学中にライターデビュー。現在はデジタルガジェットや白物家電を専門分野として執筆活動を展開。同時にスタートアップ経営者などのインタビューなども手がける。AllAboutガイドや、企業のコンサルティングなども行う。家電のテストと撮影のための空間「コヤマキッチン」も用意。