株式会社JALエンジニアリング
稲田 春霞さん
德永 大輔さん
(写真左から稲田さん、德永さん)
航空機は何万もの膨大な数の部品によって複雑にできており、そのうちの1つの部品の不具合でも航空機の運航を阻害するようなトラブルにつながることがあるため、航空整備士はお客さまの安心・安全な空の旅を支えるために、1つの部品の不具合も見逃すことができない緻密な作業を担っています。整備といっても、24時間の運航体制を支えるためシフト制で運用される飛行前点検や整備場での重整備、航空機から取り降ろした部品単体やエンジンを専門に扱うショップ整備など、多岐にわたる業務があります。そのため、担当する部署によって仕事内容も全く異なります。
今回お話を伺った2013年4月入社の同期のお2人も、同じ整備といっても普段はあまり顔を合わせることがないそうです。1人は株式会社JAL エンジニアリング 羽田航空機整備センター機体点検整備部 機体運航整備室で、電装系の整備に携わる稲田 春霞(いなだはるか)さん、もう1人は株式会社JALエンジニアリング 羽田航空機整備センター 整備技術グループで、整備現場からの問い合わせやマニュアルにない技術的なサポートを行うSE職の德永 大輔(とくながだいすけ)さん、ともに入社9年目です。
今日はそんなお2人に、整備に携わる現場ならではの醍醐味や整備士としての目指す姿などをお話ししていただきました。
--- お2人の今の業務内容を教えてください。
稲田:私は電装系の整備士として、パイロットが見る計器類、コックピットから客室までの電装全般を担当しています。改修作業の際は、航空機の電線の張り替えなどを行います。私が担当する機内の各種電装整備では、航空機が退役するまでの約20年間、ずっと品質を保ち続けなければいけない責任があるので、非常に神経を使います。入社して9年経った今でも、緊張する仕事です。
仕事全体を振り返ってみても、嫌いな業務はありませんでした。例えば、コネクタ作り※1なども、最初はとても時間がかかったり、やり直しすることも多かったのですが、場数をこなしていくうちに効率よく作れるようになりました。今でも難しいと感じるのは機内でお客さまがご覧になる座席のモニターなどのIFE(エンターテイメント系、テレビなど)関連で、光ファイバーを使っているものもあり複雑なものが多いので大変です。でも、経験を積むうちにさまざまな業務ができるようになっていくので、自身の成長につながり、やりがいを感じています。
※1…コネクタ作りとは電線と電線を接合していく作業のこと。マニュアルで指示された電線を指定されたコネクタ(接続プラグ)の定められた位置に専用工具を用いて固定していく。航空機の神経とも言える電線を接続する作業であり、間違えた場所に固定したり接続が悪いと信号が伝わらずトラブルにつながるため、非常に集中を伴う作業となる。
德永:私はSEという立場で、航空機の故障に対する初動調査や短期的な対策、現場からの問い合わせ応対、通常のマニュアルにはない技術的なサポートなど、整備の現場を支えるバックエンド業務に携わっています。現場では見ることができないマニュアルの確認をしたり、マニュアルに載っていないことは各メーカーに詳細情報を問い合わせたりとさまざまです。また、マニュアルもシップサイド(機側)のものと部品単体のものがあるため、その両方を確認します。忙しさでいうと、日によって現場からの問い合わせの量も変動しますので、問い合わせが殺到する日もあれば、あまりないという日もあります。
入社してすぐは空港にある航空機の格納庫で行うハンガー整備に携わっていましたが、そこで5年間経験を積んだ後、今のSE業務に異動となりました。SEの仕事は現場の経験を生かすことができ、さらに現場では経験できないことも多いので、とても勉強になっています。一方で、ずっと現場で整備の仕事に携わっていたいという思いもあるので、いずれはまた現場に戻りたいなという気持ちもあります(笑)。
--- 最初から整備の仕事を目指していたのでしょうか?
德永:小さい頃から航空機を見るのが大好きだったので、自然とこの業界を目指しました。そのため、大学も工学系を目指したのですが、少し違うなと思い、中退して専門学校に通い直し、その頃から整備士を目指しました。諦めようと思った時もありましたが、初心を忘れずに夢に向かって努力し続けたことで整備士になれたと思っています。
稲田: 私は実家が東京にあるので、航空機にはなかなか乗る機会がない「特別な存在」でした。そのため今でも航空機に乗る瞬間はワクワクしますね。
道のない空を飛ぶ乗り物という特別感にすごく憧れていて、学生時代は航空業界へ進路を選び、航空宇宙工学科で材料や空力などを勉強していました。「鳥人間コンテスト」に出場したこともありますが、プラットフォームを出た瞬間に琵琶湖に落ちて記録は0m、300万円が一瞬で飛んで行ったこともありました(笑)。
当時は、整備の仕事は存在自体も知らなかったので、私の場合は就職活動の企業研究の一環で工場見学に訪れた時、間近で航空機を触っている整備士という仕事を知って、面白そうだなと思ったのが目指したきっかけです。
学生時代の専攻とは違いますが、電装は希望していた部門でした。電装が使われていない機体はないので、航空機全体を勉強する必要があるのと、それらの勉強をしていれば、さらに詳しく航空機を知ることができるという点が、私に合っていると思ったからです。
--- 印象に残っているエピソードなどはありますか?
德永:普段は現場からの問い合わせ対応やサポートが主ですが、不具合があった時はすぐに現場に向かいます。そういった時は、さまざまなチームと力を合わせて対応するので、達成感があり、とても印象に残っています。
例えば、デビューを終えて新千歳空港へ飛行中だったエアバスA350という航空機が、エンジン油圧系統の不具合により新千歳空港で整備処置のため足止めとなったことがありました。その際は、すぐにSEも羽田から新千歳空港に技術支援に向かいました。原因を究明するために、油圧系統に関するさまざまなデータをメーカーに送って詳細を解析してもらう必要があったので、電装チームの担当の方に必要な情報収集を依頼したり、解析などを行ったりとチームで対応しました。最終的に機体は無事直りましたが、今でもこの件を教訓に、対策・対応を考えています。
--- コロナの状況で仕事の内容に変化はありましたか?
稲田:新型コロナウイルス感染症の影響もあって、会社全体でみると旅客便を減便しているのですが、私が担当する整備の仕事はあまり減ってないですね。それは、貨物便が活況だったり、航空機は運航していない時でも常に動かしたり、整備が必要だったりするからです。私たちの会社にはたくさんの航空機があるので、整備の現場ではやらなければいけない多くの作業が毎日あります。コロナ禍であっても、今できる仕事を一つ一つ大切に行っています。
德永:私の現場は、仕事量は平常時と比べると減っていると思うのですが、コロナとは関係なく、自分の仕事の先にお客さまがいると思って日々頑張っています。このような状況においても航空機という交通手段を選んで乗ってくださるお客さまのために、安全な機体を提供するべく、自分の持ち場で、できる仕事を着々と進めています。
(現場で使う整備道具は紛失を防ぐために、机に線を引いて管理しているそう。)
--- 仕事に際して心がけていることはありますか?
德永:遠回りに見えても正確さを大事にしています。SEという仕事は現場からの問い合わせ対応が多いのですが、「わかっている」と思うことでも即答せず、必ず確認を行ってから回答するように心がけています。時には直接現場へ足を運んで自分の目で確認することもありますし、逆に「現場に見に来てほしい」と現場から言われることもあります。
同じ現象を見ていても、私と現場でそれぞれ捉え方が違っていることもありますから、「私はこう理解しているのですが、その認識で合っていますか?」というような確認会話を徹底するなど、特にコミュニケーションは丁寧に行っています。
稲田:常に技術をキャッチアップできるよう努力しています。キャリアアップもしたいですし、日頃の現場でできることを増やしたいので、仕事にまつわる社内資格をとるために時間を捻出しています。ただ、試験範囲の分野である、機体や関連する技術が日進月歩で進化して、どんどん変化していくので勉強が欠かせません。
--- 同期ということで、業務やプライベートで連絡を取ることはありますか?
德永:14人の同期がみんな羽田にいた時は誰かが資格を取った時などに集まってお祝いしていましたが、成田や大阪、名古屋へ異動した同期もいるので。それに、今はこのような状況なのでプライベートで会う機会はなくなってしまいました。
稲田:ひとくくりに整備といっても、部署が違うと、普段はあまり顔を合わせることはないですね。業務上、連絡をした時に偶然同期が対応してくれた、という時があるくらいですね。
德永:業務上のことで連絡をした時に同期だと聞きやすいので、ちょっとしたことも気軽に相談できるというのはあります。ただ、わざわざ同期宛に問い合わせるということはないかと思います。
稲田:そうですね。整備とSEは電話でのやり取りが基本ですが、電話をかけた時に同期が出るとは限りませんから。でも、電話のコール中、同期が出てくれないかなとは思っています(笑)。同期ならではということであれば、些細なことでも聞きやすいという距離感はありますね。
先日も問い合わせをするために德永さんの所属する部署に電話をしました。德永さん以外の担当者が対応をしてくれましたが、隣で德永さんもバックアップしてくれていたと思います。
德永:はい、隣で電話の内容は聞いていました(笑)。
--- ちなみに、整備士あるあるみたいな、ついやってしまうことや、整備士という職種ならではのエピソードはありますか?
稲田:私はケーブルの配線を見るとキレイに整えたくなります。家のTVやレコーダーの配線は結束バンドを使ってしっかりまとめているので、自分で言うのもなんですが、かなりキレイです。
電装は見た目も大事なので、配線をきちんと整理して、チェックにきた先輩にほめられたいという気持ちもあり、それがいつの間にかクセになっていました(笑)。
そのおかげか、家族からTVの配線を頼まれたり、家具の組み立てまでお願いされることもあります。
德永:私の場合は、整備士というと「機械に強い」とか「なんでも直せる」と思われているフシは感じますね。例えば、妻からは子どものおもちゃの修理から家電のリモコンの電池交換まで、家の機械のことは、とにかく何でも頼まれます。
--- 休日はどのように過ごされていますか?
稲田:私は夜勤明けの日はお昼すぎまで寝ています。出掛ける時は、妹を誘ってパン屋さんやカフェを巡ったり、1人の時は料理をしたりします。今はタイ料理や韓国料理にハマっていて、珍しいスパイスを見つけるとつい買ってしまうんですが、なかなか使い切れないんですよね…。
德永:基本的には家族と過ごします。今はこの状況なのであまり外出できないのですが、散歩や動物園に行ったり戦いごっこをしたり、たまに映画を観たりします。子どもが今4歳なのですが、私が航空機の仕事をしているのはなんとなくわかっているようで、JALの機体の写真などを見ると「とっと(お父さん)の仕事でしょ?」と聞かれるのがうれしいですね。
(気象レーダーを点検中の航空機の先端で、同僚整備士と3人で。)
--- 整備士を目指すには、やはり理系専攻や進学時から意識した方がいいのでしょうか?
德永:私は最初から整備士を志望していたので、進学も整備士になるための学校を選びましたが、職場を見渡すと、そうでない人も多いので、気になったら積極的にチャレンジしてほしいと思います。
例えば、今日話している稲田さんは、新人の時、整備に関しては何も知らなかったのに、今は資格も取って責任を持った仕事をしていてすごいなと思います。そういう仕事ぶりを見ていると、同期として尊敬しますし、うれしい気持ちにもなります。
稲田:実は德永さんは、入社時からみんなに「お父さん」と呼ばれていて(笑)。私も研修中いろいろ教えてもらいました。同期でSEになったのは德永さんだけで、多岐にわたる業務を担当していてすごいなと思います。
私もそうだったように、整備士を目指すのに最初は整備について何も知らなくて大丈夫だと思います。ただ、理系の知識というかそういう基本的なものはあった方がいいと思います。入社試験にも条件があるので、調べて条件を満たしておくことが、最初の一歩ですね。
--- 女性の整備士は多いのでしょうか?
德永:私たちが入社した時は少なかったですが、今は増えました。整備チームのシフトの半分くらいが女性の時もあるんじゃないでしょうか?女性も電装系やシステム系など、さまざまな部門で活躍しています。
稲田:はい。私から見ても女性の整備士はすごく増えていると感じます。働きやすい環境を整えるために先輩たちが頑張ってくれた結果だと思います。同期は14人いて、そのうち女性は私を含めて2人です。その下の代から倍、倍と人数が増えている印象です。
--- 今後やってみたいことや、目指すキャリア、取得したい資格などはありますか?
德永:先ほども少し触れましたが、正直やはり整備の現場に戻りたいという気持ちはあります。その時は大型輸送・旅客機を専門とする「一等航空整備士」という国家資格を取得したいです。さらに自社で取り扱う航空機の資格を全機種(現在JALが所有する機種は5機種)制覇したいですね。
あとは、「あいつに聞けばなんでも知ってる!」というような整備士を目指したいです。資格を持っている人はヘルメットにシールを貼ることができるんですが、それがたくさん貼ってある人はカッコイイなと思っています(笑)。
(同僚整備士のヘルメットには767と737のシールが貼ってある。)
稲田: 私は「領収検査員」の資格を取って海外他社の整備士とコミュニケーションをとる仕事もしてみたいです。領収検査員というのは、海外へ委託して整備してもらった機体がJALの基準を満たしているか検査する仕事なのですが、領収検査へ行くと、1カ月2カ月くらい、海外へ行って現地の人とやり取りして確認をします。今だと4歳上の先輩が一番若いので、近い将来はその資格を取って、私も海外整備としても働きたいと思っています。
(2021年4月取材)
(文、写真:戸津弘貴)
大手CATVインターネット、アップルを経て、ライターデビュー。ソフトウェアメーカー、エンタープライズセキュリティ商社のプロダクトマーケティング職を歴任しつつ、フリーランスライターとして独立。
主に、スマートフォンや音楽プレイヤーなどのガジェット、オーディオ機器、カメラなどの電子デバイス、防災、アウトドア関連や、経営者インタビューなどの取材、インタビュー記事を多数寄稿。国連防災会議や防衛装備庁など、政府や官公庁関連の記録写真などの撮影も手がける。