ANA沖縄空港貨物サービス部 玉城さん
街が寝静まっていく午前0時、那覇空港ではひっそりと戦いがはじまります。次々とコンテナに積み込まれていくのは、航空貨物の数々。
日本とアジアを結ぶ那覇空港は、物流のハブ地点の役割を果たし、昼間帯で1日300台前後のコンテナと、深夜帯では300tを超える貨物が沖縄から日本、アジア、海外に飛び立っています。
貨物の荷捌き、積み付け作業にかけられる時間は、1つのコンテナやパレットと呼ばれる航空機に貨物を搭載する単位あたり、平均で10〜15分。そこで、失敗が許されない、一発勝負に挑み続けるチームこそ、「ANA沖縄空港株式会社貨物サービス部」で働くメンバーです。
今回、アシスタントマネージャーを務める玉城さんにインタビューを行いました。
玉城さんは、かつて何もない自分に苦しんできました。そんな彼が、なぜ航空貨物の仕事を選び、仕事に誇りを持てるようになったのか、過去にさかのぼります。
--- 貨物ターミナル内を見学させてもらいましたが、フォークリフト運転・操作の速さに度肝を抜かれました。
私もANA沖縄空港に入社する前からフォークリフトの運転をしてきましたが、はじめ、安全と品質を守りながらのこのスピードについていけませんでした。1人で業務を行える、いわゆる一人前として認めてもらうまで約3年はかかったと思います。
--- 失敗は許されない厳しい仕事を、なぜ選ばれましたか。
私は、工業高校を卒業後、設計事務所に入社しましたが、一か月で辞めるという悪行を働いてしまいました。若気の至りというか、その後もアルバイト先を転々として仕事内容がどんどん狭まっていき、危機感を感じていました。
「30歳を超えて、もう後がないぞ」と危機感を募らせていたとき、沖縄の就職訓練所でANA沖縄空港の求人を見つけました。しかも、正社員雇用。ラストチャンスでしたね。だから、「ここを住処にして、骨を埋めてやる」という覚悟で入社しました。
2017年で勤続8年目を迎えて、私のなかでもっとも長く勤めてきた仕事です。チームメンバーに恵まれたのも大きいです。そんなこと照れくさくて、真正面からはいえませんけどね(笑)
--- 航空業界に飛び込んでみて、どうでしたか。
最初は怖かった、とにかく怖かったです。OJT(社員研修)では、トーイングタグ車という特殊な車両で飛行機本体に近づき、コンテナを載せたりするのですが、はじめ音や迫力に圧倒されっぱなしでした。
3ヶ月間のOJT後、現在の課に配属になって「あぁ、一安心」と思った矢先、今度はフォークリフトのスピード感についていけなくて、1、2年目は苦労しましたね。
--- 先ほど、3年目に一人前になったとお聞きしましたが、何か大きなきっかけはあったのですか。
詳しいことはちょっと言えないのですが……入社3年目に、重大なミスをしてしまったんです。
すぐに貨物の保証対応とお客様へのお詫びをして、その日からフォークリフトの操作を改めました。より安全に配慮した方法で操作するようになり、その後、チームメンバーにも安全管理を徹底しました。後輩には同じようなミスを起こさせないために、緊張感をもって教えるようになりましたね。失敗からプロとしての意識が芽生えたと思います。
--- 失敗を乗り越えてきた玉城さんにとって、思い出に残っていることはありますか。
顧客満足度調査で100点をいただいたことです。調査は全空港が対象で、そうそうたる空港の中に、那覇空港の名前が並んだときはうれしかったですね。
私は、顧客満足度向上のためのプロジェクトで主担当を務め、いろいろな方法で改善を図りました。たとえば、コミュニケーションを取るために、代理店さんに行って求めているものを聞いたり、マスクを取ってきちんとあいさつすることを徹底したりと、地道な活動を通して成果につなげました。
あと、「本気で顧客満足度を上げたい」ということをチームメンバーと一緒に共有し続けましたね。無意識レベルでもそう思ってもらうために、朝礼で接遇唱和をしたり、コンテナの置き方や貨物の取り扱い一つとっても丁寧に実践するよう、地道に伝えていきました。
--- チームメンバーの反応はどうでしたか。
100点を取った時、先輩社員から「おまえ、すごいな」って言われたことにグッときました。その先輩は、私たちの動きを冷静に見ていた節がありまして、そういった言葉をもらえるとは思っていなかった。思いもひとしおです。
その後、想いに共感してくれたのかどうかはわかりませんが、その先輩が顧客満足度調査の担当をされていました。今でも日々、私たちの模範となる動きをしてもらっています。
--- いくつもの壁を超えてきた玉城さんですが、この仕事で特に好きなところはなんですか?
自分の成長を目に見えて感じられるところでしょうか。フォークリフトの運転技術など、貨物サービスならではの独自性があります。それぞれ、応用が効かない仕事で、自分ごととして仕事に取り組めるのが魅力です。
あと、おもしろい貨物に出会えることですね。たまにライオンやナマケモノが運ばれてくることもあります。はじめ、無線でライオンが来ていると聞いたとき、「えっ、ライオン?」と聞き直しましたから(笑)だって、肉食動物やナマケモノが乗るって予想外すぎるじゃないですか。
--- 今後、玉城さんはANA沖縄空港でどんな仕事をしたいですか。
空港の仕事の花形と呼ばれるマーシャラー(飛行機の誘導を行う仕事)など、飛行機のもっと近くでも働いてみたいと思っています。あと、空港内のカウンターに立ってお客様と接してみたいですね。
--- まだまだ、やりたいことは尽きないようですね。
はい、骨を埋めるつもりですからね。最近、「私たちの仕事は世の中に与える影響力が大きいな」とつくづく感じています。ささいな出来事でもニュースになりますし、沖縄にとっても間接的に貢献ができるんです。
たとえば、3月だと沖縄の電照菊の出荷がピークで、臨時便も出ていることは知っていますか。私たちが丁寧に荷入れしたものが、日本、世界を飛び回っているのです。それをニュース番組で見たときに「これ、俺がやったんだぜ」って誇りに思えるんです。
--- 産業を支えている、やりがいのある仕事ですね。でも、「空港の仕事」と聞くと、ハードルが高いイメージを持ってしまう人もいるのでは?
ここが特殊な環境だからといって、気負いせずにチャレンジしてほしいと思っています。僕も、航空業界は未経験で飛び込み、たくさん失敗してきましたが、今でもこの仕事が好きなんです。
3年前に新卒で入ってきた後輩は、当時ペーパードライバーで、フォークリフトの運転も大変難しい状況でした。でも、どんどん年月と経験を重ねていくうちに運転がうまくなり、他のメンバーとなんら遜色がないところまできました。何事も、やればできるんです。また、私たちのチームでは女性も増えてきて、現在3名の女性スタッフがいます。
新しい人材が入ってくることで、私たちもこれまでになかった視点に気づくことができます。
だから、恐れずに飛び込んでみてほしいですね。ぜひ私たちと一緒に働きましょう!
(文・写真:水澤陽介)
フリーライター。新潟県生まれ、2013年に沖縄移住。ライターとして、地域にある「ひと・もの・こと」を中心に取材。現在は、おきなわマグネット/はたラボなどで執筆、企業広報を取り組んでいます。ライフワークとして、PechaKuchaGinowanコーディネーターにも関わる。ブログにて個人活動を発信中(https://medium.com/yosukemizusawa)